秋に咲く桜のNURSEのお仕事そして投資

秋に咲いた桜を見つけそこから始まった第二の人生、、楽しみます

病気の人ではなく病気をもつ人、、身体と環境と病気

またまた病気のお話です
病気は誰でも経験すること。。ですね

どう捉えるか?で大きく異なってくるのだと思います

我が家の長男は生後2か月から3歳まで喘息様気管支炎で年間の3分の1程度入院生活を送りました

喘息様気管支炎とは

喘息のようなゼイゼイヒューヒューした呼吸音のある気管支炎です

自分が勤務する病院の私が勤務する病棟に入院していました

生後2か月。。

産後8週で私は現場復帰して復帰してすぐから喘息様気管支炎を繰り返しました

病院には保育室があって、小児科もあって、病棟には保育士さんも配置されていました

職場環境的にはとても良かったのですが

子供の喘息様気管支炎に苦しみました

東名高速の脇にあって排気ガスが原因ではないかということでした

また、子供の父親の家系にがアレルギーの強い家系で

遺伝的な要素も大きかった?(人に責任を被せてみた。。( 一一))

喘息ではないのでアレルギーということよりウイルス感染を起こさないことが重要だったのだと思いますが

常に鼻水と咳があって症状がないという日はありませんでした

ゼイゼイヒューヒューが始まると必ずと言って良い程どんどん状態は悪化して胸がペコペコと凹む呼吸をし始めました

調子が悪くなると辛くて眠れなくなって興奮気味でした

抱っこしながら吸入させながら座ったまま眠りました

どうしても夜間に悪くなるので、早めに入院させて頂こうと考えましたが

そうもいかず、やはり夜間の入院となってました

小児科のドクターはおひとりで診療されていたこともあり

自分が勤務している病院でありながら診療を断られることもありました

あまりにも頻繁だったんです

点滴でステロイド抗生物質免疫グロブリン、気管支拡張剤を使いながら

酸素マスクもつけていました

主治医からはこのままでは肺線維症になりますよ。。

と言われていました

あの頃、熟睡したことはありませんでした

今では懐かしい思い出ですが過酷でした

お仕事も休むことも多かったですし、職場では肩身の狭い思いをしました

親になるってこんな事なのだと思いました

自分の都合では動けないこと

子供に起こることに対する責任

肩身が狭い思いをするのが親なのだと思いました

また、こんな気持ちを経験して子育ての準備ができました

子供を育てるって病気だけが障害ではないからです

数年間、心配で眠れない日が続き元の主人の実家へ転居し症状は快方しました

やはり東名高速排気ガスが原因だったのかも知れないと思います

そんな経験をして子育ての通過儀礼だったと思います

人間、病気がありながらその病気と上手くお付き合いしながら

その持病を自分の一部と考え生活すると良いのだと思います

病気に支配されるのではなく

病気と上手くおつきあいする。。です

当時は長男の喘息様気管支炎にかなり支配されました

子供の苦しみに対して穏やかに過ごす人はいないと思いますが

転居することで症状は快方に向かったわけです

あの環境が長男には合わなかったのだと思います

あの当時、私も若かった?

関東の環境に拘っていたのかもしれません

それが転居したことで一変したわけですから

お付き合いの仕方次第なのだと思います

病気と身体

身体と環境

フィーリングなのだと思います

病気に罹患したとき病気と身体と環境の条件を変化させることも考慮すると良いのだと考えます

勿論、これだけではないのですけど何事もバランスですね。。

我慢するだけでなくどんな風にバランスをとっていくかなのだと思います