秋に咲く桜のNURSEのお仕事そして投資

秋に咲いた桜を見つけそこから始まった第二の人生、、楽しみます

娘の私と喜寿の母

 

私は37歳の頃に離婚しました

そのころの私はまだまだ可愛かった?

今より、、と言う意味です

別の言い方で言うと頼りなかった。。のだと思います

誰かに頼りたいと思っていたので

様々な意味で揺れていました

そんな母親だったので子供たちも揺れ揺れ。。(笑)

今では良い思い出です

その頃に事情があり母を福岡に呼び寄せました

娘しか育てたことのない母は

又、世の中が変化していることを考えない母は

私の子供たちが私の言う様に動かないことにご立腹でした

一緒に住んでいて母の理解のなさに結構悩まされました

自分の価値観が全てだと思う人間でした

そんな私の母を子供たちは嫌いました

私は親子喧嘩をしたことがありませんでした

従うことが当たり前だと思っていました

(このことについては、私の適当さが問題でした💦)

なので、自分も育っていなかったし母も育っていなかったのですね。。(笑)

祖母と言う立場でありながら

あからさまに孫に不快感を示すんです

もう、、大人なんだから💦

と思いながら母に色々伝えると不機嫌になるし

私は子育てにポイントをおきたかったので母に我慢して欲しい気持ちが募りました

子供は成長過程だから、、と母に理解をして欲しいと伝えると

どうして自分が我慢しなきゃいけないのか、、

自分ばかり、、と言うし。。

だって、、子供たちはこれからですよ?と思いながら母へ色々説明するけれど

母は青ざめていくし

同じ家の中で表情硬い状態で

母の口調もけんか腰で、、

子育てに悩んでいるときに母のこの状態は辛かったですね。。

子供たちはこれからだけど私だって、、と思っていたのかもしれませんね

変化があったのは母が大腸がんになってから、、です

母は自分の老いも認めきれない人で

自分に限って、、と思っている人でした

年を取ったら、、と言うようなお話をするだけで顔が青ざめる人だったのが

大腸がんの手術を受けてから感謝を示すようになりました

子供たちに不快感を示すこともなくなりました

免許証の返納もスムーズでした(笑)

 

子供の頃に思う親と

大人になってみる親の姿はこんなにも違うのか、、と知りました

 

大腸がんの手術、抗癌剤治療をしてから

母は大きく変わりました

家族の仲が大きく変わりました

人は苦悩から創られる。。

なんてことをしみじみ感じました

母の苦悩を

母のことをこういうのは違うかもしれませんが

母の柔軟性を作ってくれたのは過去にない自分に起きた危機なのだと思うので、、

そして今は、、

家族全体が上手くいっています

家族内の一番長老の存在が家族の空気を作るのは間違いないと思います

 

そんな母はもうすぐ77歳になります

喜寿です

長寿のお祝いを考えています

あの時はゆとりがなくて感謝どころではなくて

やきもきしたけれど、今は感謝しかありません

私が寂しくないのも母がいるからなのでしょう

子供たちが外で何をしてようと自宅には母がいるので

寂しくないのだと思います

 

今、母の喜寿のお祝いを考えています

長寿祝いの色は紫なのだとか。。

何か楽しめるお祝いを考えています

旅行でも連れて行きたかったけれど新型コロナウイルス感染症が落ち着かないと難しいでしょうね。。

もう少し元気でいて欲しいです