秋に咲く桜のNURSEのお仕事そして投資

秋に咲いた桜を見つけそこから始まった第二の人生、、楽しみます

親が与える影響に気付いて恐れおののいて働いています

女系家族の私がほぼほぼ女子校で育ち

生まれたのは男の子ふたり。。

これは私に成長しなさいってこと?なんてことを思わせるような子育て。。

男の子を生まなければ、子供を生まなければ知らなかった様々なこと

知らないというより

日々が学びだと考えるようになったのは極最近で

穏やかに過ごせるようになったのも極最近です

穏やかに過ごせるようになったことには自分が年をとりエネルギーが出せなくなってきたことや

少しだけ寄り添うことを知り

何かを動かそうとしなくなったからだと考えています

そして日々淡々と過ごすことによって

各々が各々に責任を持とうとする。。

なんて、、人間、生きるだけでも大変なことなんですよね。。

まずは、妊娠中にお腹の中にいて

お母さんの身体による影響を受けながら

細胞から人間へと育ち

お母さんの身体と協力しながら生まれてくるわけです

お腹の中で守られていた赤ちゃんが

自分の力で呼吸を始めます

呼吸を始めた赤ちゃんの周りには多くの雑菌やウイルスや、、

それでも6か月ほどはお母さんから貰った免疫力で自分の身体を守ることが出来ます

それから先は自分の力で雑菌と闘ったりウイルスと闘ったり、、

はたまた、育てる両親の影響を受けながら

自分と違う力とバランスを取りながら必死に世の中に適応していこうと生きています

私の子供は生後2か月から職場の保育室で生活していました

環境の影響もあって

小さな頃(生後3ケ月)から喘息様気管支炎を繰り返すようになり

年間の1/3は入院生活を送りました

あまりにも繰り返すので主治医からは肺繊維症になるよ、、と遠回しに転居を勧められていたにも関わらず

そこにピンとくるわけでもなく

3歳半くらいまで親のエゴで転居することなく過ごしました

3歳半になり必然的に子供の父親の実家に転居することになり幸いにも喘息様気管支炎は起こさなくなりました

考えの及ばない親のせいで子供は喘息様気管支炎を繰り返していたことになります

あの時はこんな事にも気付かなかったけれど

親の生活や行動が子供に多くの影響を与えていることがわかりますね。。

お仕事の都合や様々なことがあった、悪気はなかったし、あの時の親の環境だったといっても、子供には多大な影響だったことは間違いありません

 

その後、子供の父親の実家に転居し、認知症の祖母と父親の両親と父親の弟と同居することになったのですが

そこでの生活がそれまでの生活と違いすぎて

私が混乱して

子供も混乱して私の頭はおかしくなりました

離婚して楽になれると思ったら

凄い大変で毎日毎日一日一日を生きることで必死でした

男の子を知らない母親が男の子を育てるって、、

男性と女性は違う生き物だと感じましたね。。

 

こう考えると子供の環境全てを私が与えているのですね。。

ゾッとしました

責任の重さにゾッとして、、

それでも生んだ以上ずっと親ですから放棄するわけにもいきません

生んだ責任はあるけれど子供は1人の人間であって

1人の人間として生きていけるようにサポートしなければならないことを知り

子供が子供の人生を背負うためにサポートしなければなりません

どんな人生が子供の人生か、、想像できないですし

親であっても子供の頭の中も人生もわからない

そこに踏み込むって、、(影響すること、見守ることはできますが)

無責任なことだと思うのです

沢山の選択肢があることを知り、それを実現出来るように親として備える、、

そんな力が自分に必要だと考えました

 

私にどうしてそんなに働くんですか?という知人、友人がいます

子供が自立するようになっても一生親であり様々な苦悩が伴います

また、並行して親の介護が必要になります

 

私はそこまでしないと自分の役割が果たせない人間だと思っているから働きます

 

人間、人に寄って苦悩は違いますが

苦悩のない人なんていなくて

楽に生きれる人はいません(四苦八苦・生老病死

だからこそ、家族を支えて生きたいですね。。