自分次第、そして払拭する力
23歳でNURSEになりずっとNURSEという職業を続けていました
産前6週、産後8週以外ずっと。。
NURSEになりたくてなったのではなく、
高校3年生の頃、膝の負傷でずっとやっていたバレーボールに支障をきたし手術が必要となった時
自分の中にあった切れない縁と思っていたそのバレーボールとの縁がプチッと切れました
苦しかった、、からでしょうね。。
呪縛?
あの頃、膝の負傷を利用してバレーボールがやめられる、、と思ったのだと思います
進学校だったので当然のように大学進学の話になった時
自分には何もないように感じたことを覚えています
小学生から中学校に上がる前の春休みから中学校の練習に参加して
中学校から高校に上がる前の春休みは高校の練習に参加して、、
バレーボールと学校内の生活しかやっていなかったので
いざ、バレーボールがなくなると
自分は何も知らない、、
世間知らずな人間だと愕然としたことも覚えています
限られた世界での生活は今でも同じような感じです
バレーボールをずっとやっていてもちゃんと世の中を見ていた人が殆どなのでしょうね
ですが、私はこんな性分なので
今は世の中を意識的に見るようにしています
意識しなければ直ぐに自分がいる世界だけの自分になってしまいます
そしてここ数年、考えていることがあります
産前産後のお休みしかとらなかったのは
やはり生活の為だったと思います
三つ子の魂百までと言いますが
ずっと子供と一緒に歩んできた、、という表現しかできません
辛くても生活の為にただ毎日踏ん張ってきた、、そんな感じですね
そんな辛さも忘れてしまう位の現在ですが
NURSEと言う職業はずっと学びの必要な気の抜けない職業だということが救いだったのだと思います
お仕事に救われたということですね
そんなお仕事と共に生きてきた人間がそのお仕事による考え方を払拭したいと考えています
どんな職業も生活リズムがあると思います
お仕事をしていれば縛りがあります
と言うことは大前提で
私は自分の予定を優先にすることをしません
勤務希望のお休みをいれません
子供が小さな頃の学校行事は希望を入れて夜勤入りと夜勤明けも利用していました
というこの状態、、自分が旅行をしたいからこの日のお休みを希望します
ということをしてこなかったので
勤務の隙間に自分時間を作ることしかしてこなかったので
今、この感覚的なことを考えています
自我、、、の欠如ですね。。
勤務希望を入れても人員の問題で予定通りにお休みが取れなければ予定が台無しになってしまうという懸念もあるからですが
完全に呪縛です(´艸`*)
数年前から自分のこんなことが気になっています
現在、新型コロナウイルスのパンデミックを理由に旅行が出来ないことを理由に自分に言い訳をしていますが
近い将来
先に計画を立てて勤務希望を出し
北海道旅行します!!