以前の私はいつもウジウジ考えていました
自分の言動と他人の言動が気になって仕方がありませんでした
・あの人はどう感じたか(失言かな?)
・あの人の言葉は私に何を伝えたかったのか
・あの人のあの言葉は意図的なのか
・自分が不快に感じるのはなぜなのか
こんなことを感じる自分、考える自分、、
感じること考えることが不快でした
そして、そんな時代の私は他人に気を遣う人
と言われることが多かったです
ある時、友人が「なんでそんなに気を遣うの?」と言いました
私は気遣うのではなく気を遣う人
人に気をつかう人は人にも気をつかわせてしまう
そんな事を自覚したことがあります
面倒な人ですよね。。
お話していても疲れます(笑)
つまり、自分の姿=相手の姿(反応・態度)
そう考えました
そこから自分改革が始まりました
もっと言うと自分に無責任な自分が起こした大きな出来事があり
考えさせられている時期でもありました
必然ですね
永年の自分の性格が創った自分が
今を生きづらくさせていることにぼんやり気づいたんですね。
自己分析をして、、
自分を創るのは自分だと気づきました
まず、、
自分に無責任な自分。。
覚悟して決断、実行するということをしてこなかったために自分の思う方向に進まなかったんです
一つ一つの自分の言動はこうすべき、、と、状況、状態にによって考えることではなく決まり事や世間体に重きを置いた考え方。。
考えることをせず表面的なことで動いていました
真剣に考えることをしなかったために相手に合わせることを意識していました
相手に合わせる、、自分の考え方ではないために深く追求するような内容になると、中身のない、内容が浅いものであるという事ですね
自分の行いに対しては利益もペナルティもあることも学びました
意図的に人を傷つけるようなこと、中傷などをすれば当然ペナルティが発生します
人に意見するときも同じです
人に影響を与えるならばそれ相応の責任が生じるわけです
その責任をどう捉えてどんなことが考えられるか?
想定しながら動かなければ思わぬ方向に動いた時に対応ができません
こんな事を考えるようになり日々訓練しました
一つ一つを考えながら動く訓練です
幼少の頃から日常の中で自然と訓練してこられた方もおられると思いますが
私は「こうあるべき」という親の教育のもとで、表面的に生きてきたので大人になってから意識的に訓練しなければできないことだったんです
雨上がりに遠くの山を見つめるとくっきりと綺麗な何とも言えない緑が見えます
その緑は多くの木の集まりで出来た複雑な緑です
ひとつの山が多くの木の集まりで出来ている。。
同じ山などひとつもない、同じ木などひとつもない
当たり前のようで多くのことをイメージしました
実際に山に登ってみるともっと多くの発見があり楽しめることだろうとも考えます
全てに於いて様々なことを意識するようになると
人のことも想像するようになります
私がこう思っているという事は
あの人もこう思っているのでは?
だとすると、こうするとこうだ。。
また、違う反応をする人。。
何故?
様々なタイプの人がいて
自分は汚い仕事をするのが嫌なのに
他人がその汚い嫌なことすると、やった人を色々と批判したくなる人
他人が嫌がるような仕事を自分がやったとしても感謝されることばかりではありません
そんな事を考えながら観察しながら動いていて思いました
私は貴女ではない。。(笑)
自分が間違っていないと思う事まで批判されては身動きが取れなくなってしまうんです
なのでそんなことは気にしないように意識しました
正しいと思うことをやる!です
貴女の気に入るような動きは私にはできないんです
貴女は貴女の気に入るように動けば良いし
私は私の考えるように動きます
というスタンスです
私にとっての貴女(貴方)は無限大にいます(自分以外の全ての人ですね)
こんなことをベースに考え動くように意識しました
とても楽になりました
そして、プラスα思いやりの大切さです
相手が嫌がるような事で自分に大事なことでもポイントはおさえなければならないですし
自分、相手の立場によっても様々なポイントをおさえなければならないですね
相手に気に入られようとしても全てを気に入られることはない
だとしたら自分の思う様に自分に正直に
懸命にやっていけば良い。。
こんな事を意識して生活しています
わからないことがあると、自分に考えろ考えろ!と言いきかせます
答えがでると改めることに意識します
時に苛々して自分が悪かったかのような気持ちになる事もありますし
実際、そんな時もありますが
自分の信念などにずかずかと踏み込まれたときは自分を慰めたりします
自分を褒めることはあまりないですが
慰めることは結構な頻度であります
価値観も多様化し何が正しいのかわかりにくい世の中になっているからこそ
自分が自分を大切に生きることが必要なのだと考えます
※集団の中では自分のよかれが独りよがりになる事もあります
そこは考えなければなりませんね。。
独りよがりもメリットとペナルティを想定できていればOKだとも思います