秋に咲く桜のNURSEのお仕事そして投資

秋に咲いた桜を見つけそこから始まった第二の人生、、楽しみます

堕ちていくかも知れないという恐怖から得たもの

15年前に離婚をしました

元の主人は暴力的で仕事をせず、、

会社経営の両親との同居し

私の収入で生活していました

昼間からお酒を飲み、暴力的な主人

離婚の話をしてもお話はかみ合わず

命の危険を感じ警察に保護して頂きました

当時、民事不介入という事で介入が難しい世の中でしたが

自宅を出るとき警察が自宅近くまで迎えに来て下さいました

最小限の荷物を持ち家をでました

身を隠し接近禁止令を出して頂くために裁判をおこしました

身を隠さなければ動くときに自分たちの所在が解ると危険でしたし

離婚も難しかったからです

身を隠すためにある福祉施設に10日程入りました

この状態を作る為に3か月間準備をしました

自分や周囲の人間に危害が及ばないように数か月間、自分の携帯から友人や母へ発信履歴を残さないようにしたり

お金を貯めました

ボーナスや退職金や有休の処理などでお金を作りました

無事、接近禁止令を出して頂いて離婚調停をしました

離婚後は支援措置を申請して警察に電話番号を登録しました

住所がわからないように行政に申請し

警察では私が110番通報すれば元の主人が接近しているという知らせと捉える、、というシステムで。。

数年間、こんな生活をしました

過去の自分の知り合いとは一切の関わりを断ちました

そうしなければ、知人、友人を通じて自分の所在が知られたり、友人、知人に危害が及ぶ可能性があったからです

私のこんな時期には同じような方の痛ましい事件も報道されたりしました

そして私はPTSD、鬱で苦しみました

堕ちていくのではないか、堕ちていってはいけない

必死に藁を掴んでいました

気を抜くと崩れそうになる

意識的にお腹に力を入れていないと自分が壊れていくような恐怖、悪い世界に吸い込まれて行くような感じで苦しみました

 

先のことを考えるゆとりはなく一日一日生きることができれば良いと思う様になりました

一日一日を踏ん張れば何とかなる

明日のことを考えなくなりました

周囲の目を気にするゆとりもなくなり

必死に生きることを学びました

 

自分の責任を背負えるのは自分しかいない

あの当時、子供も背負わなければ、、という重圧も辛かったけれど

親である自分が自分から逃げることや自分が自分に責任を持たないことが

自分の負担を大きくすることも学びました

自分を知って自分を信じることができる自分作り。。

 

必死でした

そんなことから15年、、今は終活を意識しています

今の私は前向きだとかポジティブだとか強いなんて言われますが

怖いものは何もない、、と感じます

まだまだ未知の世界はあるでしょうが

一喜一憂せず淡々とやるべきこと

やりたいことをやっていく

毎日毎日を生きるだけ、、それが一番の生き方だと私自身は思っています